日教組沖縄平和行進に参加して 2012年06月30日
「県内への新基地建設反対!」
「沖縄に静かな生活を返せ!」
 返還40年目を迎える沖縄に、シュプレヒコールがこだました。
 米軍の天願桟橋をスタートし、ゴールの「安保が見える丘」までの17キロ、前回の大雨とはうってかわって、強い日差しの下での行進となりました。
 ジェット機の燃料タンクを覆い隠すように、フェンスに沿って高く築かれた丘を横に見ながら、行進の列はキャンプコートニーを横断しました。700名の地主を有するこの基地もまた、安全保障の名の下に戦後本土の経済復興と引き換えに接収されたオキナワの一部であり、「アメリカの在る暮らし」が当たり前のように見えているこの地域を歩きながら、復帰後40年が経ってもなお置き去りになっているオキナワの実態を感じました。
二日めは、日教組参加者とともに北部戦跡等のフィールドワークに参加しました。バスの車窓からヘリ墜落事故のあった沖縄国際大とコザ蜂起の現場を見たのち、訪れたのはチビチリガマでした。このガマがつい最近まで存在すら知られることのなかったのは、避難した住民の多くが軍部の圧力と心理的な誘導によって自然発生的に身内の命を絶っていくといった、いわゆる「集団自決」があったからです。凄惨な歴史の事実に生き残った住民は固く口を閉ざしてきました。今も遺骨の残るガマに祈りを捧げたのち、次に訪れたのはシムクガマです。講師の沖教組委員長、山本さんはこの二つのガマを訪れた順番が重要だと語られました。シムクガマに避難した1000名の住民は、ハワイから帰国して間もなかった比嘉平三さんと平治さんの投降への呼びかけによって一人の自決もありませんでした。二つのガマはおなじ波平地区にありながら、全く違う結末を迎えることとなります。
 山本委員長はこの事実に対して、「だから生き残ったシムクガマの人々が正しい、ということを学ばせるのではない」と語ります。「生死を分けた多くの住民のうち、自分で考えて行動した人間は、比嘉さんたち2人だけだったのではないだろうか。その二人の行動によって、結果たくさんの命が救われた。同じ悲劇が繰り返されないよう、ガマを訪れた子どもたちが平和な未来を創り上げていくために学んで欲しいことは、2人のように主体的に考えるという態度であると思う。」そう語る山本委員長もまた、これまでに現場で出会ったしんどさをもつ子どもと一緒に何度もこのガマに入り、何時間も子どもたちと語り合ったそうです。
 これまで自分の中で悩んでいた「平和学習」と「学級集団づくり」を同軸に考えるという課題へのヒントを、今回の訪沖でたくさん得ることができました。青年部を卒業して以来の全国のなかまとの再会もあり、40年めのオキナワで有意義な時間を過ごすことができました。さっそく職場のなかまや学級の子どもたちにも学びを広げていきたいと思います。
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